会社の上司に退職意思を伝えてきて言われたことと感じた事

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8月下旬の昨日、会社の上司に、「来年の3月末頃までに退職させて欲しい」との意思を伝えてきました。引き継ぎも考えて、半年以上先の日を提示しました。退職意思を伝え、それに対して色々と言われた事で色々と思い浮かんでくる考えを整理する為や自分を客観的に見つめる為に書いてみようと思います。感じ方は人それぞれ。環境も人それぞれ。私の独りよがりな部分も多々ありますが、退職についてこんな風に考える人もいるんだなー、くらいの気持ちで読んで頂ければと思います。

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目次

気を使った事

気を使ったことは、上司が落ち着いて話を聞いてくれる状況を見計らって伝えたということです。

退職意思を表明したのは、時期的に、年間でもとても忙しい繁忙期が終わって一週間経ち、一息つくくらいの時期です。繁忙期の反省書も出し終わった時期です。もうしばらく経つとまた別のイベントが始まる可能性があるので、ここ数ヶ月で今が一番、上司も落ち着いておられる時期だな、というのを見計らいました。

また、曜日的にも、1日の時間帯的にも、上司が忙しくない曜日時間帯を選びました。話を持ちかける少し前にも上司の様子を伺っていましたが、ちょっとしたデスクワークを片付けて、少し背伸びをしたり、時間が余った時にやるような事をされていたので、丁度上司も話を聞いてくれやすい時間帯かな、と思い、話しかけてみました。

場所を移動。そんな所で話す?

まず、「大事なお話があるので、誰にも聞かれない場所でお話がしたい」と告げ、場所を移動してもらいました。

そうすると、場所は移動しては下さったのですが、「どんな話や?そんなに重要な話か?誰かしらどこかにいるから、どこにも2人で話せる部屋がないから、ここで話して」という事で、人がいつもいる訳じゃないけど、人が通りうる場所で話すよう言われました。

そこは、部屋と部屋の間の場所で、各部屋からは離れていて、人が長時間止まる場所ではないのですが、従業員の出入口とも近く、どう考えても人が行き来する可能性大の場所でした。その日は暑かったので日光を遮っており、電灯もつけていない午後5時過ぎくらいの時間で、ちょっと薄暗く、お互いの顔もはっきり見えないような状態の場所でした。薄暗い状態だから人に聞かれたくない話をしてもいいような状態だと判断されたのでしょうか。

ただ、自分としては、面くらいました。店長である上司には、しっかりと「店長室」という部屋があり、上司もその部屋を自分の部屋として使えるのだから、その部屋を使って、ドアも閉めて誰にも聞かれない状態で話を聞いて欲しかったです。現に、人事的に重要な話などをする時はその部屋を締め切って使うので、今回もそのように話をしてくださるものだと思い、それを期待していたので、こんな所で話したくないな、と思いました。

確かに、上司が店長室を使えないのもわかります。店長室と名がつくものの、現実の運用は共用スペースで、他の方のパソコンなどもあり、事実上、皆の事務作業部屋みたいに普段はなっているからです。致し方ないかな、と思い、その場で話し始めました。ただ、案の定、何人かは話している途中でその近くの出入り口から出入りしたり、段ボールを捨てに行く人が何回も近くを通ったりと、人が近くを通っており、「あーあ、こんなんじゃ、話が漏れてもおかしくない」と、ガッカリしました。

いざ退職意思を告げる!

でも、気を取り直し、恐い気持ちをなんとか乗り越え、「独立して自分で事業をやっていきたいので、来年の3月末までに退職させて欲しい」という意思を告げました。上司は全く予想していなかった事を告げられ、大変ショックなようでした。

上司からは次のように言われました。

会社が困る。

まずは、私が退職すると会社が困る、と言われました。

まず、年中人員不足で、人数がいません。1人抜けると大きな痛手です。そもそも休みが回らなくなるくらい、人数的にギリギリで、やっています。残った方にしわ寄せが来ます。私もチームメンバーが1人欠けたときに痛感しました。

また、それまで私を育てる為に会社が投資してきた分がパーになります。また始めから人を育てないといけなくなります。私の前任者が1人で裁量が大きく任されて大きくして行った、社内の個人商店のようにやってきた部署なので、人にかかる部分が大きいのです。その責任者が抜けるとなると、またゼロからその無形のノウハウなどを引き継ぐ必要があります。新たに教育コストがかかるわけです。

ただ、私が閉塞感を感じたのはその部分です。会社組織にも関わらず、その人1人に責任を押し付け、場合により、休みの日も仕事をせざるを得ない状況に、前任者はなっていました。そして、後任者である私にも、それを要求してきました。人生丸ごと、プライベートも捧げて、という感じです。本当の個人商店であれば、リターンもその人に丸々返ってくるのと、何より全て自分で決めてやれますので、そのような働き方も自分で選ぼうと、自由です。その分、状況に応じて働くペースを緩めるのも、お客様との兼ね合いもありますが、選択権はその人にあります。個人商店ならば。でも、サラリーマンとして、そのような立場に置かれる事は、自分には納得いきませんでした。自分の人生を捧げるような働き方なのに、まず、それに見合う見返りがありません。もらえるのはサラリーマンとしての安定した給料のみです。状況に応じて働くペースを変える事も出来ません。現に、前任者も、腰を痛めているのに休む事が出来ず、限界まで働き、数ヶ月入院した、という事があったそうです。それは、前任者にとっては武勇伝のように誇らしいものらしく、それくらいまでやる事を暗に要求されるような雰囲気でした。仮に私が、腰に異常を感じても、「前任者がそれくらいまでやったのだからお前も我慢しろ。それくらいで音を上げるのか。やる気がない、覚悟が足りない。」と言われかねない雰囲気を感じていました。現にだんだんと腰に違和感を覚えるようになってきています。時々、足にピリッとした腰からの痛みを感じることもあります。でも、会社の人には言えません。「皆痛いんだから我慢しろ」と言われるのが目に見えているからです。「すぐ泣き言を言う奴だ、情けない」とも思われるでしょう。こうして痛覚が麻痺していくんでしょうね。

まさに現代版のゆる〜い奴隷のようなものだ、と、大変に誇張した大袈裟な表現ですが、感じていました。昔の奴隷よりは豊かな暮らしで、様々な権利も保障されているので、昔とは大違いですが。そのような従順な自己犠牲を会社への忠誠心だとして、称賛する向きと、それを本人が何も言わず我慢していたのをいい事に黙認していた会社の姿勢に、空恐ろしいものを感じていました。そして、前任者は、腰の痛みから復帰した後、また同じ業務に戻されたのです。ご自分でサポーターをしながら業務を続けておられます。「社長は、その前任者を、対等な人間として、本心では、考えているのだろうか?」とまで考えてしまいました。確かに資本主義社会では、社長は応分のリスクを負っているから仕方がないのでしょうね。安定を求める代償はかくも高くつくものだ、という事でしょうか。

代わりの人なんてそんなに簡単に見つからない

代わりの人はそう簡単に見つからない、と言われました。まあ、確かにそうだと思います。でも、私が抜けたって、会社ですから、何らかの人員補充はできるはずです。まして、現在コロナ禍の真っ最中で、つい先日、既に不況入りしていた、という報道がされ、ほとんどの会社の決算短信も散々な様子。どう見ても労働市場は雇う側に有利な買い手市場になっていくでしょう。人員補充にとって追い風の状態はこれから本格化すると思います。ですので、代わりの人は、見つかるだろうと思います。それよりも、採用コストや教育コストがかかってしまうのが会社として困る部分だと思います。

特殊な仕事なので育てるのに時間がかかる

それはそうかもしれませんね。この点は申し訳ないと思います。教育コストがかかるという点です。今まで育てた分が無駄になり、またゼロから育てなければならないのですから。

これに対しては、引き継ぎをしっかりするのが精一杯の恩返しなのかなと思います。

責任感ないのか。

「責任ある仕事を任されているのに放り出すのか。責任感がないのか。よくそんなにあっさりと辞めるといえるな」と言われました。「そんなんじゃ何しても信頼を得られない」とまで。

おっしゃるとおり、放り出すと受け取られてもしょうがないかな。でも、なるべく会社の繁忙期を避けたりして時期に気を配ったり、引き継ぎはしっかりやるつもりなんです。「引き継ぎしっかりやるなんて当たり前や。」そうなんですけどね。

責任ある立場の方々はどうやって辞めているんでしょう?やっぱり人が永久に同じ事をし続ける訳にはいかず、どこかで世代交代なり人員交代がある訳ですから、引き継ぎをしっかりした上で辞めれば責任ある立場の人もやめられると思うんですけど。

しっかり引き継ぎをして、残った人達がスムーズに業務を引き継げるようにする事が、責任を果たす辞め方だと思います。それ以上に責任を感じて、会社にずっと居続ける、とまでやる必要はないんじゃないでしょうか。

お客様は人につく。会社につくんじゃない。取引先に迷惑がかかる。

お客様は人につく。会社につくんじゃない。」それはある面ではあったとしても、退職を引き留める理由にはならないだろう、というのが実感です。

というのも、なんだかんだ言って、取引先は会社の潤沢な支払い能力や販売能力を見込んで商品を納入する訳だし、お客様は、会社が長年築いてきた誠実な商売態度を信頼して買いに来ておられる訳です。歴史の長い会社なので、会社の看板の力は、それこそ私如き一介の凡人などものともしないものだと思います。

あくまで会社の看板があるからこその取引な訳です。自分の才覚でどうのこうのなるような投機性の高い商売をしているわけでなし。大量の注文も、会社の看板への信頼から受ける事がほとんどです。

前任者はその点、そんな会社にあっても、ご自分のお客様を持っておられました。本当に仕事の出来る前任者だったと、尊敬の念を禁じ得ません。

恥ずかしながら、私はその足元にも及ばず、でした。会社の看板の大きさと、前任者のお客様からの圧倒的な信頼関係に半ば圧倒されながら、何とかこれまで築いてきた会社への信頼を裏切る事がないよう、気をつけてきました。取引の本筋部分をしっかり完了する事で精一杯でした。あとは、自分なりに工夫して、痒い所に手が届く、次も頼むよ、と言われるようなサービスを心がけてきました。徐々に取引先との信頼関係も築けてきた、そんな過渡的な時期だと思います。ですので、会社の看板をしっかり受け継げる方であれば、充分今の私を超える働きが出来ると思います。

また、取引先が困る、という点についても、心配はないと思います。これまで取引先の担当者が会社を辞めた、という事もあり、後任の方が慣れるまではこれまでよりも説明が必要だったりと不便な事もありました。ただ、それでもこちらが求めている事を説明すれば、大抵の場合、対応してくださいましたし、そうやって成長して下さった結果、逆に不慣れな時期にも成長を待ってくれた、という恩義のようなものを感じていただけたからか、とても真摯に気を配ってくださるようになって下さったり、かえって色々な事で協力し合える関係が築けたりと、新たな担当者になったらなったなりのいい事がありました。そこに担当者の個性も出ると思いますし、私に欠けていた点が後任者の方が優れている、という事もあると思います。そこは後任者の個性を活かして成長して頂ければと思います。その下準備としての必要事項の引き継ぎと取引先への橋渡しをしっかりやれば、担当者が変わっても取引先に迷惑がかからないと思います。

恩知らず

義理人情ストーリーに感動する心を持っている私には、中々こたえる意見です。「ここまで育てたのに、出ていくのか。恩知らず。自分には出来ない。自分は、育ててもらった恩を返そうと頑張っているのに。」と言われました。恩知らずと言われればそうですね。育てるのに費用と時間もかかっていますからね。

皆さんは、会社に対して、恩を感じて働いておられますか?私は、結構就職の難しい時期に会社に雇ってもらった事、しかも、入社して割と早くある程度の重要性のある業務につけてもらった、という点で、恩は感じて働いています。

ただ、自分の人生を考えた時、会社への恩だけでは済まされないものがあると感じるようになってきました。自分の人生に責任を持てるのは最終的には自分しかいない。多分、純粋に恩だけで会社との関係を考える人は少ないと思います。先程の上司にとっても、恩はあるけれど、この会社で長年苦労して築いてきた様々なもの。それは、信頼関係であったり、会社内での地位だったりといった現実的な要素があって、それも含めてこのままの方がトータルで自分にとって得があると判断しているからこの会社にいるのでしょう。

私も、この会社でこれまで築いてきた信頼関係を、退職意思を伝えた事で一気に失った感があります。それが怖かったのも事実です。今後、退職の日まで、私の退職意思を知る方からは何らかのわだかまりに近い思いを持たれる事と思います。なぜなら、会社に残る人達にとって自分の意思による退職者は裏切り者のような存在に映るだろうからです。この点で、やむを得ない何らかの事情で退職した方とは違う思いを持たれると思います。家庭の事情などでやむを得ず退職された方は、おそらく、居なくなって寂しいな、でもしょうがないか、という思いを持たれて会社を去る事でしょう。会社にいたい意思があったけど、外部的事情があってこの会社を去るんだ、と。

でも、私のように自分の意思による場合は、裏切り者、のような思いを持たれる余地もあります。それが正直怖いのです。

私は会社を去る人を見送る時、どう思ってきたか

では、実際、これまで自分が経験した、会社を去る人への想いはどうだったか?を振り返ってみたいと思います。

これは色々あります。

まず、それ程面識もなく、業務にも関係ない人に対しては?「フーン、そうなの」と、ほとんど感情も動かず見送ってきました。私とほぼ面識のなかった方はこんな感じでしょう。

次に、私とそこそこ付き合いがあり、多少なりとも業務でも接する機会があった方で、好感を抱いていた方に対しては、「寂しいな。もう、この会社では会えなくなるのか。」です。非難する気は起こりませんでした。寂しさの方が強かったです。自分の意思で退職を選んだ方であってもです。

また、そこそこ業務上接する事があったけど、別に好感も抱いていなかった方に対しては、「担当者が変わるのか」くらいで、寂しさはそれ程ありませんでした。いや、少しは寂しさもあったかな?それでも、好感を抱いていた方の時ほどは寂しさは感じませんでした。

会社に不満を持っておられたような方が、何らかの外部的事情で会社を辞められた時は、「上手くやったな〜」と思いました。周りの方が、「外部的事情だからしょうないがよね。」とか、「新しい生活頑張ってね」とかの言葉をかけていたとしても、「上手くやったな〜」と思っちゃったんです。「羨ましい」という感情も湧きました。

また、ごく例外的ですが、何らかの不正行為や不埒な行為で辞める事になった方に対しては、「自業自得だな。」とか、「真面目に働いている私達への裏切り行為をしていたんだ」とか思いました。特に、私達と仲良くしながら不正な利益を得ていた人に対しては、まんまと気付かず交流していた自分のお人好しさに情けなくなると共に、「よくそんな事をしながら私達と仲良く出来たもんだ」と、その人の神経の図太さにある意味驚きを隠せませんでした。それでも、丁度、ドストエフスキーの「罪と罰」という、犯罪者への救済をテーマにした本を読んだ直後だった事もあり、感情的には、一度顔を合わせて話して、「この一件だけで今後の人生を踏み誤らないで欲しい、このままズルズルと悪の道に走らないで欲しい、今後この事を悔いて真っ当な道を歩いて欲しい」という言葉をかけたいと思いました。でも、「まんまと裏切られた気分だ。あの交流は何だったんだ」という悲しさから、未だ連絡を取っていません。私が「裏切られた」と感じたのはこういう場合でした。

これらはあくまで私が感じた事であって、他の方の感じ方とは違う部分もあるかもしれません。が、これらを総合的にみると、不正を働いたのでなければ、一番マイナスな感情を抱いた時でも、「上手くやったな」とか、「羨ましい」くらいでした。これは、本人が会社に対して不満を抱いていた事を知っていた場合です。そして、不満とは別の外部的理由で辞めた場合です。

それに対して、「寂しいな」と感じたのは、好感を抱いていた方です。たとえ辞める理由が会社への不満だったとしてもそれまでの人間関係によって「寂しいな」と感じたのです。

そう考えると、自分の意思でやめたのであれば、親しければ「寂しいな」と思ってもらえ、親しくなければ何とも思われないにすぎず、「上手くやったな」とまでは思われないでしょう。まして、「裏切られた」などとは思われないだろうと思うのです。

そんなわけで、多分、裏切られたと思う方はあまりいないんじゃないかという楽観的推測を心の支えにして今後も進めていきたいと思います。

長くなりましたが、読んで頂きありがとうございました。

退職を考えておられる方、サラリーマンとして働く事に疑問を持たれている方にとって少しでも励ましになれば幸いです。

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