『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の感想・考察

人生について

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を見て来ましたので、記憶が鮮明なうちに感想を書きたいと思います。感想は人それぞれです。ここに書くのは、あくまで、私が現時点で得た感想、という前提でお読みください。ネタバレをふんだんに盛り込んだ内容となっていますので、ネタバレが嫌な方は読まないでくださいね。

第1の感想

1番に思った感想としては、全体としてハッピーエンドになったのでよかった、というものでした。見終わった後、『ああ、よかったなぁ』と、思えるエンディングだったのです。その象徴が、シンジ君が歳をとった、という描写。声も低くなっていました。ここら辺はとてもわかりやすく描かれていました。

もちろん、一人一人の人物が生き残るか死ぬかで残念な場面もありました。でも、死んだ人物でさえ、ああ、これでよかったな、と思える死に方だったのです。

テーマは?


人間にとって普遍的に大切な事は何か?それは、自然であり、人との触れ合いであり、別れを受け入れる事、そして未来へ繋ぐこと、そういうことをテーマとしていたと思いました。

まず、綾波が農業と村の人たちとの交流を通じて感情が芽生えていく様。色んな意味で爽やかな気持ちになれました。

自然っていいな

まず、自然について。綾波が、農家のおばちゃんたちに教えてもらって、農業の手伝いをします。田舎在住で、兼業農家で育って来た私にとって、あの綾波レイ(09という数字の書かれた黒いプラグスーツを着た、いわゆる黒綾波ですが)が田植えをしている姿を見ることができるなんて全く予想もしていませんでした。私は、ここ最近エヴァを一気見したものなので、綾波にそれほどの思い入れはありませんが、それでも、綾波の辿々しい田植え姿がいじらしく可愛く見えました。田んぼで足を取られて後ろにドテーンと転ぶ場面は、お約束だな〜、と思いながらも微笑ましく見ていました。

こんなふうに、これまでのエヴァではほとんど出てこなかった、自然や農業との関わりが、なぜか出てきます。(エヴァで農業といえば、加持さんのスイカぐらいなものでしょう。加持さんのスイカは中盤からたびたび出てきます。)そして、それだけじゃない。一人で黙々と農業をやっているわけじゃないんです。村の女性たちと一緒にワイワイやりながら農業をやっているんです。この風景、田舎へ行けば見ることができる、と、都会に住んでいる方は思われると思います。

しかし、今の田舎の農業は、機械化して久しいです。数十年前でさえ、田植えはほとんどの面積を田植え機がやり、人間の手で植えるのは、田植え機では植えられない、田んぼの縁の方だけ、という状態でした。今では、田んぼの整理もされ、大きな面積のたんぼが増えました。それに伴い、ますます機械も大型化。兼業農家の担い手も減り、専業でやっている人や農業をやる意思のある人に作ってもらっているのが現状。農家の数は減り続けています。というか、それが国の政策です。国際競争力のある農業を作り、食料自給率を上げるためだそうです。綾波が体験したような、のんびりした農業は、まさにフィクションだから成立する、御伽噺のような世界。

でも、それでいいんです。私は、綾波が農業をし、田舎暮らしをするシーンで、とても癒されました。冒頭のいきなりの戦闘シーンで疲れた私を和ませるには十分でした。

人との関わりで人間らしくなる

そして、綾波が体験したのは、人との関わり。農業は、単なる自然とは一線を画しています。人が自分に都合の良いように、自然を操作し、自分たちが生き延びるのに都合の良い作物を選択して作るのが農業なのです。綾波は、決して原生林のような、純粋無垢な自然の中で無邪気に駆け回って私たちを癒してくれているのではありません。人が生き延びるために自然を改良して自分たちの都合の良いように加工した自然の中で営まれる、農業を通して癒してくれるのです。そして、村のおばちゃんたちとの触れ合いの中で教わり、コミュニケーションをとり、やんややんやと言いながら作業している姿。そんな中で綾波の心が変化していきます。昔の田植えはこんな風に、村中総出でそれぞれの田んぼをお互い様という気持ちでみんなで作業した。それを、私の住む田舎では、結(ゆい)と言います。おや?偶然かどうか、「ユイ」って、シンジのお母さんの名前ですよね。綾波「レイ」が、みんなで共同作業をする、結(ゆい)という作業を通じて、人間らしくなっていく様。なんだか今回のエヴァは見ている人も「ポカポカする」展開でした。

言葉と感情と人間らしさ

最初の頃の綾波は、体は大きいけれど心は赤ん坊のよう。トウジの赤ん坊が出て来たのが、体は大きい綾波との対比としてなのかな?と、後で思いました。そんな綾波が、委員長から一つ一つ言葉を教えてもらい、それに伴って少しずつ感情も豊かになっていく。時には子供に教えてもらったり。感情の豊かさって、言葉を発するからこそ感じられるってこともあるよな、って、映画を見終わってから思いました。言葉は、今感じている感情を表すという、受動的側面だけでなく、感情を動かすという、能動的側面もある。綾波は、言葉を自ら発することで、感情をより感じやすくなっていった、そんなことも言えるんじゃないか、と思いました。

人はどうして人たりうるか?そんなテーマを、赤ちゃんのような質問や受け答えをする綾波を通して、感じさせてもらいました。

いなくなった綾波。それに対するシンジの反応の違い

そんなこんなで段々人間らしくなる綾波。でも、いなくなる時がきます。シンジの目の前でいなくなる綾波。シンジはまたも綾波を失います。ですが、その後のシンジの反応が前回までのシンジと違います。なんと、決意するのです。初号機に乗り、父ゲンドウと戦うと。綾波がいなくなったことで、逆に成長するシンジ。

なぜシンジはこう反応が変わったんでしょうか?

シンジは「どうしてみんなこんなに優しいんだ!」と綾波に叫ぶ場面があります。うずくまっているシンジの閉ざされた心を、周りの人たちの優しさが少しずつとかしていったのではないかと思います。トウジや委員長、ケンスケの、何気ないけど懸命に生きている中で自分に向けてくれる優しさ。決して特殊な能力を持っているわけでない、運命を仕組まれた子供達でもない、平凡な、だけど、なんの運命のいたずらか、シンジと関わることになったごく普通の人との関わりが、シンジの心をいつの間にか強くしてくれていたんだ、ってことかなと思います。人の心を強くするのには、なんの特殊能力もいらない、優しさだよ、と言ってくれているようです。

落とし前をつける。ミサトとシンジの決意と信頼関係

そんな決意をしたシンジに対し、WILLEの若い女性二人は冷たい。徹底的に反対してくる。でも、ミサトがシンジの味方になる。ミサトがシンジを庇う。そして、ミサトとシンジはそれぞれが決意を秘めてゲンドウと対峙する。

これは、TVアニメ版の初回からのミサトとシンジの関係の場面が頭をよぎる、なかなか感慨深い関係性です。ミサトは、母親のいないシンジに対し、母親がわりになろうとしていた、というのがTVアニメ版でも出て来ました。そして、リツ子に、あなたは母親になれないとまで言われたミサト。でも、実際に子供を産んで母親になり、さらに、シンジの保護者として、最後の落とし前をつけるという決意してシンジを守ったミサト。さらに、WILLEの乗組員たちみんなを安全に非難させた上で自分一人でみんなを助けるために第3の槍を持って立ち向かうミサト。ミサトは、もはや単なる実子の母親という枠を超えて、シンジを守る者、さらにWILLEみんなを守る者となったのです。言ってみればWILLEの母親のような存在に。ここで、ミサトも成長したということがわかります。そして最後に見せるのが、TVアニメ時代からお馴染みのミサトの髪型。なつかしのあの髪型は、本質は変わらずにより成長して人として強くなったミサト、というのを表していると思います。

大切な人との別れ。シンジにとってはレイ。それも2度も。白綾波と黒綾波。ミサトにとっては加持。

でも、それらの大切な人との別れを通して人は強くなっていく。それを、この二人の決意とクライマックスにつながる行動から見て取れると思います。

ミサトやシンジと対照的な、ゲンドウと冬月

そんな、過去の大切な人との別れを乗り越えて強くなったシンジやミサトと対照的に描かれるのが、ゲンドウと冬月。彼らは、ユイとの別れを乗り越えることができませんでした。そして、人としてやってはいけなかった、死者と再び会う、ということを、全世界を巻き込んでやろうとしたのです。

ゲンドウは、ユイとの別れを乗り越えて新しい人間関係に踏み出すということができませんでした。描かれるのは、言動の幼少期からの性格。内向的で、本とピアノが好きで人付き合いが嫌い。ピアノが好きな理由は調律がきちんとしていれば支持した通りの音を出してくれるから。

冬月については今回はそれほど描かれていません。ゲンドウと同じようにユイにもう一度会いたかった、ってことだけが出てくるだけです。ゲンドウの過去がかなり長いこと描かれます。

誰とも心を通わせられなかったゲンドウが唯一心を通わせることができた女性がユイ。そのユイこそゲンドウと世界との接点だったのでしょうが、それがなくなったことで世界との関わり方がわからなくなってしまった。新しい関わり方を探す、ということをせずに、過去に囚われたゲンドウ。自分の心の扉を開く代わりに、人であることを捨ててまでユイにすがったゲンドウ。

ここで、ネブカドネザルの鍵、というものの力で、人ならぬものになってしまったゲンドウの姿が描かれます。ネブカドネザル王は、聖書では、驕り高ぶったために野の獣のような姿になるという罰を受け、その期間が過ぎると理性を取り戻し、神を褒め称えた、と書かれています。それに当てはめると、ゲンドウも、死者と再び会う、という、人のことわりに反する行為をしようとして、人ならぬものの姿となった、ということが描かれていると思います。

結局は、ゲンドウは、未来に向けて新しい人間関係を作ることを恐れ、過去に縛られていたからこんなことになった、ということなんでしょうか。未来に対する恐れから、未来へ向けて踏み出すことができなかった人たちを描いているんでしょうね。

シンジが成長したラストの場面

ラストの場面で、シンジは声も低くなって成長しています。そして、シンジとカップルになっている感じなのが、マリ。これは、シンジが、綾波との別れを乗り越えて新たな人間関係へ踏み出すことができたことを表しています。ゲンドウのように綾波との別れにいつまでも拘らず新しい一歩を新しい人と踏み出したシンジ。シンジは言動のようにならず新しい未来を作っていくんだろうなと希望を感じさせるラストシーンでした。ラストシーンの一歩手前で初めて眼鏡を外すマリ。今までのような、ペラペラにゃあにゃあ喋る生意気な小娘としての側面とは一味違う、美人な側面をチラッと見せてからのラスト。なかなか憎い演出をしますなーと思いました。

疑問点

マリとゲンドウとはユイ以前に知り合いだった。としたら、ユイはゲンドウと同じくらいの歳なはず。なのにシンジと同じくらいの歳。マリの年齢はどうなってるの?

一つは、エヴァの呪縛でマリは若返ったとか?

そのほかの可能性としては、マリはゲンドウ世代の人の子供、という説も一応は考えられるかもしれません。だけど、冬月先生、とか、ゲンドウ君、とか言っているから、マリはゲンドウ世代でしょうね。

まとめ

今回は、多くの人がわかりやすいように、という配慮でしょうか、話の柱となる比喩表現が何度も繰り返し出てくるという、見る人にやさしい演出が散りばめられていましたね。

  • カヲル = ゲンドウ
  • すいか(water melon)をミサトと絡めて度々出す。
  • カヲル&レイ = ゲンドウ&ユイ

などなど。

見終わった感想としては、寂しくても、未来に向かって歩こう、という爽やかな気持ちになったなーという感じです。

皆さんはいかがだったでしょうか。読んでいただいてありがとうございました。

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