「同志少女よ、敵を撃て」ネタバレ感想

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ロシアによるウクライナ進行が始まって以降、気になっていた「同志少女よ、敵を撃て」。

先日、Amazonのオーディブルを使って聴きました。

胸が熱くなるストーリーとともに色々考えさせられる物語でした。

戦争は、歴史で学ぶと、国と国との陣取り合戦のような、駆け引きのような感覚を受けます。

他方、一兵士の目線からみると、戦争というものが現実にはどんなものか、人間のだらしなさ、非情さ、どうしようもなさがあぶり出されるような感じを受けます。

どちらも戦争というものを表しており、どちらの視点も戦争を語るのに欠かせないものだと思います。

この本は、一兵士の目線からみた物語です。戦時の女性狙撃手の目線を通して、人間というものをある側面から掘り下げて考えるきっかけになる本だと思います。

以下、ネタバレも含めて感想を書いてみたいと思います。

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目次

ストーリー概要

物語の舞台

舞台は、ナチス・ドイツがソ連に侵攻していた第二次世界大戦当時。1940年初期。侵略される側であるソ連側の少女を主人公に物語は始まります。この物語は、ロシアの前身のソ連が侵略される側として描かれます。

対して、2022年2月24日に始まった、現実に起きているウクライナ侵攻は、ロシアが侵略する側。かつて侵略を受けた側が今度は侵略する側となるという、現実と逆の立場になっていることがなんとも言えません。

しかも、当時の独ソ戦は、ドイツが大国ソ連を攻める、という対等にドンパチやるという構図だったのが、今回のウクライナ侵攻は、大国ロシアが面積的に小さなウクライナを飲み込もうとする、という、圧倒的に非対等な力関係である点が本書と大きく異なると思います。

物語に戻ります。

平和な村でそれまで営んできた日常を、いとも簡単に無慈悲に破壊し尽くすナチスドイツの兵たち。ドイツ兵たちによる理不尽な殺人行為に憤り、復讐を心に誓う主人公の少女。

共同生活での訓練

狙撃手として腕を磨くために、同じような境遇の少女たちとの共同生活が始まる。互いに苦しい過去を背負い、心に大きな傷がある少女たち。性格の不一致は当然。諍いが絶えない。そんな中で段々と心を通わせながら共に訓練を積んでゆく。

何もできなかった少女たちが厳しい訓練に耐え、狙撃兵として成長していく。成長していく様子には感動もある。ただ、その先に待っているのが戦場であり、このメンバーのうち何人かは怪我をしたり死んだりするんだろうと想像しながら物語は進んでいくので、悲壮感がずっと付きまといます。

共同生活での青春群像劇風な感じと、でも、戦場が待っている、という悲壮感も漂う点が、漫画「進撃の巨人」で感じた感情と似ているなと思いました。

そして、最終訓練。見事に一流の狙撃兵として成長したことを感じさせる場面では、やったー、という爽快感。が、それと同時に、ここから死と背中合わせの地獄の日々が始まるのか、と思ってなんとも言えない気持ちに。

いざ戦場へ

戦場に行くと、お粗末な戦略やお粗末な軍の方針などがそこかしこに出てきます。まともに動かない戦車や兵器。体面ばかり気にして有効性の低い戦略に固執する上層部。味方を見殺しにして保身を図る上司。

それまで緻密に訓練された成果を全く発揮できないまま犬死にするんじゃないかと思う場面も。

現実の戦争では、そんなふうに、訓練で一流の技術は磨いたけど、いざ現場ではお粗末な部隊や軍の方針によって、全く訓練御成果を発揮できないまま犬死にしていった方々が沢山おられたんじゃないかと思います。

そんなお粗末な環境の中でも、きらりと光る兵士たちはいるものです。着実に成果を上げる女性狙撃兵たち。

かつて諍いのあった面々も今は共に戦う同志として固い絆に結ばれた仲間に。お互いがかけがえのない存在になっていました。

軍の戦略が功を奏したこともあり、戦況はソ連有利に。彼女たちも戦果を次々上げていきます。

戦後、どのように生きていくかをお互い語り合うほどまでに、戦争は終わりに近づいていました。

復讐なるか?

そんな中、復讐を果たすべく、主人公は自らの命をかけて敵地へ。

クライマックスに向かうに従って、緊迫した、痛々しい場面が続きます。

そして、クライマックスとも言える場面。

ここは是非ともご自身で味わっていただきたいです。

戦後

戦後のことについても触れられています。

戦争に行った兵士たちが、戦場から帰ってきたら、自分の居場所がないことに気づきます。

戦場に行くために訓練を積んだ期間・戦場で戦った期間。その間、兵士たちの人生は世の中とは隔絶されていました。その間、歳だけは取りました。

財産も家族も亡くし、夢だった学業や仕事もできなくなる。生きていくためになんでもして食いつないでいかなければ。

そして、体の一部を失った兵士たちの苦悩は言わずもがな。

体は大丈夫だった兵士たちにも戦争の傷跡は襲い掛かります。戦場での悲惨な記憶は残り、戦後の平和な時期においても元兵士たちの精神にダメージを与え続けます。

生き残ったとしても、人を殺したという記憶は想像以上に人の精神に悪影響を及ぼすようです。

たとえ戦場で成果を上げ、国から讃えられたとしても、人生として幸せに生きられるかは別物。別の何かが必要なようです。

そんな「戦いの後」について考えさせられながら、穏やかに物語の幕は閉じていきます。

感想

いろんな場面で、人間にとって大切なものは何か、幸せとは?人生とは?など、色々と考えさせられることが多かったです。そんな中で特に思ったことを書いてみました。

平凡な日常や夢に向かって歩めることがいかに恵まれているか

作中では、戦争のために、いろんな人がいろんなものを奪われる場面が出てきます。

命を奪われる多数の人たち。

人間としての尊厳を奪われる人たち。これは、敵からはもちろん、味方の上司や同じような兵士から尊厳を傷つけられたりする場面も出てきます。戦争だからこそ理性のタガが外れてしまいがちになるのでしょうか?

命があっても、日常が奪われる。そのことの重大性が、臨場感を持ってこの物語から伝わってきました。

いきたい大学へ行く道が断たれる。思い描いていた職業を歩めなくなる。キャリアを積む、なんて発想が遠くの世界の出来事に思えるような、軍隊での一兵卒としての日常になる。

戦争になると、人の命は、将棋やチェスの駒のように、ある意味使い捨てられてしまう存在になるんだなと。

平和な日常だからこそ、将来の夢だとか人権だとか人の尊厳だとかいっていられるんだなと思いました。

戦争は、日常も夢も人生も破壊する。そのことを強く思わせられました。

戦場で命取りになるのは、人間らしさ

人間らしさは、戦場では命取り。

それを感じさせられる場面がいくつも出てきます。

戦争のない世の中では大事なことが、戦場では、逆に自分の命取りになりうることが描かれています。

非人道的な手段が使われる戦場。子供などを囮にし、感情に訴えて相手を自分の有利な場所に誘き出す、という手段も描かれています。そのような感情に訴える作戦に引っかからないためには人間的な感情を抑えて相手の誘いに乗らないこと。そんな殺伐としたやりきれなさをいろんな場面で感じました。

戦場では相手より一瞬でも早く相手の命を奪った方が生き残れる。死んでしまっては元も子もない。相手の兵士に情けをかけることなく相手の命を絶つ。でないと逆に自分の命を奪われる。そんな切羽詰まった状況が、思いやりとは別の思考回路を生み出すようです。

また、狙撃兵の場合は、特に緻密な動作が要求されます。遥か遠くにスコープ越しに見える相手に対し射撃するため、手元のわずかな狂いが命取り。目標地点では大きな狂いとなり相手に気づかれて逆に自分の位置が特定され、反撃されて一巻の終わり。そのため、射撃の瞬間は感情に動かされることなく無に近づいて明鏡止水の境地で撃つ。

狙撃兵は感情を殺してこそ一人前。

映画や漫画で見ると、「カッコイイ!」となりますが、戦場の現実は厳しいもんだと思いました。

愛と生きがいの意味するところは?

この物語では、そこかしこに、人生とは?幸せとは?を考えさせるきっかけが溢れています。

その中でも、雲の上の存在のような英雄である女性狙撃手リュドミラ・パヴリチェンコ(実在したソ連の女性狙撃手)からの言葉として語られた言葉として作中に出てくるのが「愛と生きがい」です。

この言葉は、主人公の同僚、シャルロットによる「戦後、狙撃手はどのように生きるべき存在でしょうか?」という問いに対するものです。

「愛する人を持て。生きがいをもて」

平和な日常に生きる私たちにとっても何が大事かを考えさせられるものだなと思いました。

まず、愛する人を持て、です。

戦場では、思いやりや温かい心、人としての愛情などが命取りになる場面が多いというふうに描かれています。作中でも、温かい心を持っているがゆえに自分の身を危険に晒す、という場面が出てきます。

戦場では持ち続けることが困難な愛情や思いやり。

逆に戦争のない世の中では愛情や思いやりが必要。

感情を押し殺してこそ一人前、という狙撃兵。長年訓練し、戦場でもそのように感情を抑えてきた女性狙撃兵が、戦後、一般社会に戻って「さあ、普通に生きていいですよ」と放り出される無責任さ。人の人生をなんだと思ってるんだと今の時代からは言えますが、国家のやり方というものはえてしてそんなものでしょう。

戦争と愛や思いやりの両立は不可能なのか?

ちなみに、あたかも両立不可能のように描かれる戦争と思いやり。

ですが、最後の方でその両立をした人がいたということが描かれます。

両立不可能なことを両立した人がいた、ということ。

復讐で貫かれていた物語に対するアンチテーゼとして最後の方での意外などんでん返しが待っていました。

どんな内容かは読んだ時のお楽しみにしておきますね。

生きがい

作中では生きがい・趣味と並列的に出てきます。

一般的に趣味というと、個人が自己満足できる、没頭できるもの、というニュアンスでしょう。

他方、生きがい、というと、もっと他者にベクトルが向いた、他者になんらかの貢献ができ、かつ自分も満足感を得られるようなもの、というニュアンスでしょう。

作中で戦後のエピソードなどに照らしてみても、趣味、というよりは、生きがいの方に近いニュアンスかなと思いました。

精神を蝕むものを食い止めるためか?

戦争が終わった後、兵士は戦時中の経験に精神を蝕まれる、という経験をするらしいです。

その精神への侵食を防ぐために有効なものとして愛と生きがいが挙げられたのだと思います。

生きがいとまでは立派でなくても、何か没頭できる趣味。熱中できること。そんな瞬間があれば、絶え間なく蘇ってくる戦場での忌まわしい記憶から逃れられる。

戦場では、何かに没頭することは、死の危険が増大することを意味していました。狙撃兵は長時間同じところにいてはいけない。居場所が特定されて狙われる。射撃時に感じる快楽に浸っていてはいけない。快楽にのめり込もうとする自分を、冷静な自分へと引きずり戻さなければいけない。それが戦場での行動原則だったのです。

戦場を生き延びた者は、没頭することを自ら禁じたが故に生き延びることができた者なのです。

それが、戦争が終わったら真逆になります。

何かに没頭していないと精神の安寧を保てなくなるのです。

つくづく、美談とか英雄譚とかで語られるものと、生身の人間にとっての本音とは乖離するものなのだなと思いました。

頂点から見られる景色は?

狙撃兵は、自分たちが狙撃兵として歩んでいる道の先、山の頂にはどんな素晴らしい者が待っているのだろうと期待して自らの身を奮い立たせて戦場で戦います。

そんな頂に達した英雄がリュドミラ・パヴリチェンコ。その彼女が、頂に達した景色を語ります。彼女が象徴しているのは、世間から称賛される成果や成功、栄誉を得た人たち。多数の屍を乗り越えて頂点に辿り着いた者が得られる栄誉。頂点から見られる景色はなんなのか?

リュドミラ・パヴリチェンコを通して語られることは、「頂に達したからといって変わるものはない。体験していること自体は素人だった時に主人公が感じたことと同じもの。」ということです。

多くの人が、頂に何かあると思ってそこを目指していくけど、実際はそこには何もない。経験していることは皆同じもの。ということです。

幻に向かって一生懸命向かっていっているようなものなのだなあと思いました。

英雄だって人間

英雄と祭られようと、自分の人生が、愛する人もなく生きがいもなかったら孤独で寂しい人生になる。

英雄であろうとなかろうと、愛する人がいて、生きがいがあれば人生それでいいじゃないか、という、私を含めた多くの平凡な人に救いのあるメッセージが語られていたと思うわけです。

まとめ

平和で日常生活を送れるのがなんと有難いことか。

栄誉やなんやらという頂を目指すのは意味がない。それより、愛する人を持つ、生きがいを見つける、という、平凡な人でもできることをして人生過ごせばいい人生を送れるんじゃないか。

そういう、平凡な人生にOKをもらえるようなメッセージが、戦場や軍隊の緊張と理不尽さでいっぱいの物語に隠れている本だなと改めて思ったのでありました。

受け取り方は人それぞれ。みなさんはどんな感想を持たれるでしょうか?

気になった方はぜひ本書をご覧くださいね。

読んでいただいてありがとうございました。一つでも参考になることがあれば幸いです。

今回扱った本

オーディブルのおかげで、ながら聴きでこの本を読む(聴く)ことができました。本を読む時間がなかなか取れないよ〜という方におすすめです。

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