映画「最高の人生の見つけ方」から学んだ事。ネタバレあり。

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ネットフリックスで、「最高の人生の見つけ方」という映画を観ました。人生について考えさせられる映画だったので、この映画から学んだ事を書いてみようと思います。ネタバレありますのでご注意下さい。

終わりを意識するからこそ生きている時間の重みを知る

この映画は、たまたま病室で出会った二人の主人公が、余命数ヶ月という事を医師に告げられ、残りの人生でやりたい事をリストアップして、それを実現していく、というストーリーです。病室を抜け出し、スカイダイビングや世界旅行など、老人とは思えない行動力で次々とやりたい事を実現させて行きます。こんな大胆な事が出来るのは時間と経済力とサポートしてくれる人に恵まれている人達でしょうから、現実社会ではほとんどの人が出来ないかもしれません。

二人がやりたい事をする人生にシフトするようになったきっかけは、余命を告げられた事でした。終わりの時間を意識すると今の時間の貴重さを身にしみてわかるという事なのでしょう。

こう書いている私も、この映画を見て人生の終わりを意識出来るようになったかと聞かれたら、正直な所、全然意識できていない、と答えるでしょう。自分の人生はまだまだ続くと思っています。しかも、漠然と、今とそう変わらない筋力で、何不自由なく目も耳も体のどこにも異常のない状態がずっと続く、と思い込んでいます。そして、さして人生の重大事とは言えない事をして毎日を過ごすのです。考える時間がないから、という言い訳は、私の場合は通じないと思います。無駄に過ごしている時間はいくらでもあると思います。考える気がないのです。

人生の終わりを意識する、という事は、語弊を恐れず言えば、締め切り効果、というのと近いのでしょうか。人生の締め切り効果のようなものです。締め切りが近いと、俄然やる気を出してやるべき事を片付けた、という経験のある方は少なくないと思います。人生でも、死という、不可逆的な締め切りを示される事で、それまでの何倍ものバイタリティを発揮して、残りの時間を有意義に過ごせる、事もあるかもしれません。

でも、締め切り効果を利用するのは、必要やむを得ない時に限るべきだと思います。締め切りに追い立てられてやるべき事をやる、という事を人生にも適用しようとするならば、下手をすれば急ぎすぎてやりたい事を細部まで出来なかったり、やっている事を味わい尽くす時間が充分取れない場合も出てこないとも限りません。ましてや、やりたい事をやっている時に次の事を考えたりするようになっては、何のためにやりたい事をやっているのか、ただノルマをこなして、人生やり切ったという勲章を得たいだけなのか、そういうツッコミも自分でしてしまうかもしれません。

この映画は、若いうちにこそ、見る効果が大きいと思います。若い時は、人生の残り時間など、普通は意識しないでしょう。色んな可能性に胸を躍らせ、失敗を恐れずチャレンジする、そんなステージだからです。ただ、何にチャレンジするか、それを選ぶ時に、本当にやりたい事を後回しにして、いつかやるつもり、でいたまま、別の、興味関心は薄いけど生活維持の為の事を優先したまま、年月が経ってしまう。確かにより良い健康状態、経済状態を維持する為に必要な事であったかもしれません。でも、堅実に生活維持の為の仕事をやっていけば、蓄えができてくるはずです。その蓄えをみてどう思い、どう使うかです。

生活維持に余裕が出てきた。そこで、より生活レベルを上げる方向に進むのか、生活レベルを維持したまま別の方面にお金を使うのか。そこで生きてくるのが、私自身にとって重要な事は何か、を自分の心に聞く事です。インターネットを調べれば、色んなヒントは得られるでしょう。自分の発想を超えたよいアイディアが、見つかるかもしれません。でも、最終的に決断し、責任を取るのは自分自身です。バランス感覚と決断力が大事なのかもしれません。

夢は1人で実現するよりも、仲間がいた方が実現しやすい

この映画がよくできているな、と思うのは、主人公である2人の老人の他に、付き添いの、若い男性が執事的立場でサポートしている事です。

もちろん、主人公2人も、多分、1人だけだったらこんな行動は出来なかっただろうという描写があります。

きっかけは主人公の1人、おそらくそれほど裕福でなさそうな、カーターのやりたい事リストでした。でも、彼は自分で書いたそのメモ用紙をぐちゃぐちゃに丸めてポイと捨てました。それっきりだったらその老人のやりたい事リストの実現は叶わなかったでしょう。でも、それを、もう1人の主人公、エドワードが拾い、勝手に読む事からやりたい事リストの実現が始まります。エドワードは大富豪だったので、やりたい事リスト実現の為の資金はエドワードが出したと思われます。

カーターは資金は無いけど教養があり、そのおかげで資金を出したエドワードも世界旅行を楽しむ事が出来たんだと思います。多分、エドワード1人が、世界旅行をしたとしても、カーターと一緒に行った時ほどは楽しめなかったと思います。そして、世界旅行中のシーンである、エジプトのピラミッドの上でのカーターからの質問。これにより、エドワードは長年心に引っかかっていた、娘とのいきさつを語ります。これは、一緒にここまで旅をしてきて信頼関係が出来上がっていたカーターだからこそ、打ち明けられたのではないかと思います。

また、エドワードの、現実社会をよく知る者ならではの意見も、カーターの博識に波紋を投げかけます。タージマハルでの会話です。これは、王が妻の死を悼んで作ったもので、建設に携わった2万人もの人々は無償(20,000 volunteers)で工事をした、とカーターは言います。しかし、エドワードは、無償で?と、疑問を投げかけます。そんな重労働を自発的にするわけないだろう、権力があったからそれだけの事が出来たんだろう、と、暗に示しているのだとおもいます。

そして、サポートしていた若い男性、トム。彼は、2人の希望を出来るだけ叶えながらも、とても体力的に無理な事はキャンセルしたりと、2人をよくサポートします。ライオン狩りをキャンセルされた事を、エドワードが、キャンセルしてくれてよかった、ライフルさえまともに撃てないのだから、と振り返るシーンがありますが、これは、トムが2人の事をよく見ていてしっかりサポートしていたという事を表しているエピソードだと思います。

そして、エベレストに登っている登山者。物語の語り手がカーターなので、カーターが登っているのかと思っていましたが、違っていました。それは物語の最後の最後で明かされます。彼は、2人の思いを受け継ぎ、最後のリスト項目に消し込みを入れます。おそらく、生き生きと人生の最後を送る2人に触れる事で彼の人生にもなんらかの影響があった事を暗示しているのではないかと思います。彼の協力無くして、2人の夢の実現はなかったでしょう。そして、エベレスト山頂に納められるのは、2人がタージマハルでどんな風に埋葬して欲しいかという話の中でカーターが話題にしていたコーヒー缶。ここでも、2人の思いが、一緒になって実現したといえるのではないでしょうか。

最後は家族

カーターも、最後は家族の元へ帰り、妻、子供、孫たちを含めた家族皆と楽しい食事をします。でも、それと対照的に描かれるのが、孤独で迎えてくれる家族がいないエドワードです。若い女性を呼ぶ事は出来ても、自分に寄り添ってくれる相手はいない。年老いてからの孤独は本当に辛いなと思わせられます。

エドワードも、一度はカーターや執事のトムから、娘との再会のチャンスを与えられますが、自分から拒絶します。でも、自らの孤独やカーターの急変を経て、心の変化があったのでしょう。最終的には自ら娘の元へと向かいます。愛する娘とのわだかまりを解消出来たことが、実はエドワードにとって一番嬉しかった事だったのではないでしょうか。どんな名所旧跡を回るよりも、家族との関係の修復が一番幸福につながる。まさに幸せの青い鳥は身近にある、そんな事をも思い起こさせる場面でした。

まとめ

皆さんはどんな状況でこの記事を読んでおられるでしょうか。人生でやりたい事はどんな事ですか?やりたいような、でも、気が進まないような事はなんですか?

1人でも、この記事やこの映画をきっかけに、人生でやりたい事の一歩を踏み出して頂けたら、幸せです。

読んで頂きありがとうございました。

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