先日、宮崎駿監督作の映画、「ルパン三世 カリオストロの城」を見たので、その感想を書きます。ネタバレも含みますので、ご注意ください。
「ルパン三世 カリオストロの城」は、1979年12月に劇場公開された、宮崎駿監督初の映画作品です。
ルパン三世という題材を使いながらも、宮崎駿監督作品らしい作画やストーリーの楽しさ、奥深さを堪能できる作品だと思います。
私が特に印象に残ったことを書いてみます。
アニメでないとできない動き
アニメでないとできない動きが満載で、ドキドキハラハラがテンポ良く、時には意表をついて展開されます。
所々で出てくる、アニメならではの動きが面白いです。
車でギュイーンと石の壁を走ったり。
屋根がカーブしている尖塔を走って行ったり、尖塔から尖塔へ飛び移ったり。
リアリティある動きの中で不意に出てくる、実写だととてもできない動きがエキサイティングだし、笑いを誘ったりします。
実写だと間伸びしそうなところを、面白いテンポのまま展開して行くところがさすが一流アニメだな〜と思います。
ルパンとクラリス
いろんな話が繰り広げられますが、最後に心に残るのが、ルパンとクラリスの心の交流ではないかと思います。
一件落着して、ルパンとクラリスが二人で歩いて話しながら最後の別れの場面で、クラリスがルパンに「連れて行って」と言います。それに対してルパンはどう答えるか。
年齢的には、おじさんと若い女性。かつては、青年と少女として会ったくらい、歳は離れています。
ルパンはあくまで、自分のことを「おじさん」と呼びます。クラリスを少女扱いして、ルパンの側からあえて線を引いている感じです。
年齢だけではありません。身分も普段の生活も違います。
普通に考えたら一緒にはなれない関係でしょう。
でも、もし、一緒になったら・・・と考えてみるのも面白いかもしれません。
もし、クラリスがルパンについて行ったら?
ルパンは、クラリスに「連れて行って!」と抱きつかれた時に、自分も抱き返したくなるのを必死で抑制して抱き返さないようにする、という様子が描かれます。感情的には連れて行きたい。でも、連れて行ってはいけない。そう、自分に言い聞かせているように見えました。
なぜルパンは連れて行かなかったのか?
一番は、生きる世界が違う、ということなのじゃないでしょうか?
この子は王女。表の世界で公に生きて行く立場にある子。対して、自分は、国際的にも泥棒として追われる身。表の世界では生きていけない。この子を裏の世界に引き込むわけには行かない。
もし、クラリスがルパンについて行ったら、クラリスは表を歩く生活ができなくなるでしょう。体力があるうちは逃げ回ることもできるし、泥棒が成功しているうちはそこそこいい生活もできるかもしれない。
でも、体力が衰えたら?いつか捕まるかも?毎日がそんな不安と隣り合わせ。そして、不安は歳をとるに連れ増えて行くでしょう。
そして、そのような生活が、クラリスの性格をも変えてしまうかもしれません。
泥棒として欲と野心でギラギラしていた頃の危険な自分にさえ一人で近づき、水を差し出してくれたくらい、優しさのある子。裏を返して言ってみれば、危険察知能力低めの少女だった子。そんなある意味世間擦れしていない子が、王女として表を歩いていた生活から、警察などから逃げ回りながら盗みを働くという裏稼業の生活を続けるのです。だんだんと裏の世界に触れ、したたかな女性になっていくことでしょう。クラリスがそのように変わって行く姿が想像できるだけに、ルパンとしてもそのような生活にこの子を引き込むことはできないと思ったのかもしれません。
もし、ルパンがクラリスについて行ったら?
では、逆に、ルパンがクラリスの方について行ったら、つまり、カリオストロに残ったらどうなるでしょう?
つまり、ルパンという泥棒が王女と結婚して、一国の王になる、ってことですね。ルパンシリーズでは、こんなことやったらもうルパンシリーズとしては続かなくなるのであり得ないでしょうが。
で、ふと思いついたのがディズニーとの比較。
ディズニーでは、、、?と考えると、なんだか似たような構図が、、、、。
パッと思いつくところでは、「アラジン」なんかそうじゃないでしょうか。
泥棒と王女の恋物語。
ディズニーでは、泥棒の側が王女の側に行く、つまり、裏家業の側が表の世界に行く、ということでハッピーエンド。
でも、宮崎アニメではそうしない。
寅さん、つまり「男はつらいよ」シリーズのように、心は通わせるけど結ばれない、という、なんとも甘酸っぱい余韻を残しながら終わると。
だって、ルパンが王様になったって、どうせ、退屈して飛び出していきそうですもんね。で、たまに戻ってくる。フーテンのルパンみたいな感じで。
このカリオストロの城では、最後に不二子がバイクで現れます。クラリスと別れて落ち込み気味のルパンがそんな自分の気持ちを吹っ切って、半ば無理して明るく振る舞いながら今までの現実に戻っていく、という感じになっています。
クラリスと不二子
この映画で出てくる中心的な女性がクラリスと不二子。
クラリスは、不二子とのちょっとした会話のチャンスに、ルパンと不二子との関係性に探りを入れます。
なかなかに攻めの姿勢の感じられる女の子です。
結局、ルパンの一番身近にいる女性の不二子はこんな女性である、そして、ルパンとはこんな関係性になる、という、いわば、ルパンと一緒に居続けるための一つの解のようなものに触れたわけです。そして、ルパンの、私を守ってくれる「おじさま」として以外の別の一面も感じられたはずです。多分、ルパンについて行った先の、自分への扱いも、お子ちゃま扱いの今とは違ったものになる可能性も。
多分、不二子のような、ルパンに必要な助っ人的な戦闘や侵入、くノ一のような動きをすることは自分には無理だとは悟ったのではないでしょうか。そして、連れて行ってもらったら、足手まといになることも。
冷静になって考えてみると、クラリスをルパンが連れて行くのは、どう考えても足手まといになるから無理でしょと思うわけです。仮に危機的状況なら一時避難的に匿ってもらうことはありだとしても、平和が訪れた以上、国の王女としての役割をほっぽり出して、泥棒について行くなんてその国の国民からしても『やめてほしい』と思うでしょうしね。
それでも、あえて上記の、「私も連れて行って」になるわけです。
うーむ。恋は盲目というか、、、。
ハッピーエンドか?
さて、では、この物語は、ハッピーエンドと言えるのでしょうか?
私は、ハッピーエンドだと思います。
というのも、上記のように、クラリスがついて行っても、ルパンが残っても、どちらにしても落ち着きの悪い結末になるような気がするからです。ルパンがクラリスを連れて行かないことが、二人の感情的には切ないけれど、事実としては双方にとってハッピーエンドだという、全体として見てハッピーエンドに落ち着いた結末だと考えていいんだろうなと思います。
事実としてはハッピーエンドだけれど、感情的には切ない、という、なんとも心に残る結末で終わったわけです。
巧みなストーリーだなーと今更ながら思います。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は、宮崎駿監督の、「ルパン三世 カリオストロの城」についての感想を書いて見ました。
ルパン三世という題材を使いながら、宮崎駿監督の凝った絵作りや世界観が随所に滲み出ていて、見応えのある映画でした。
皆さんも、もし機会があればご覧になって見てくださいね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。では、また!
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