「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」の感想

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アニメ編26話に引き続き、Netflixで、「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」を見ました。その感想を書きたいと思います。ネタバレ含みますので、ご了承ください。また、私個人の勝手な解釈も含んでいる部分もありますのでご容赦ください。

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目次

「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」ってどんな作品?

アニメ版の24話に続くストーリーとのことです。アニメ版の25話、26話がシンジの心の中についてのストーリーだったので、外の世界はどうなったんだ?って要望に応えたようなストーリーらしいのですが。

感想を一言で言うと?

ちょっと怖くてグロテスクで、ショック。

それが私が見ている時、見終わった時の感想です。

仲間達はみんな死んでしまうし、レイも大きくなって気持ちわるいし、無理矢理のようにカヲルくんは出てくるし。

大まかにはアニメ版の概要を人物ごとに切り取って物語は進んでいくのですが、それはそのエピソードに続く言葉じゃなかっただろ、って場面も出てきて、こんなの映画館で見ても満足しないなー、と思いました。

アニメ版を見終わってアニメ版の記憶がプラスのイメージで残っているので懐かしいなー、と思う場面がいくつか出てくるのと、少し説明が加わっているので、注意深く見ると考えるヒントがもらえるかもしれません。

結局、何が一番言いたい映画だったのか?

人は矛盾に満ちた生き物。愛したいけど素直に愛せない。愛するが故に殺そうとし、愛するが故に自分も死のうとする。人間同士、思想の違いから殺し合う。生きるために不可欠でない場面でも。そう言う、人間の情けなさを明るみに出そうとする場面がよく出てきます。

人間は不完全な生き物。でも、それがいい!そう言う人間讃歌が一番言いたかったことなんじゃないかと思います。

だからこそ、その対立概念として、人間のそんな弱い部分を補おうと言う人類補完計画がエヴァの世界では立案されるわけですが。

ずっと情けないシンジ

そんな弱い人間の代表格とも言える役割をシンジは割り当てられたかのようです。シンジは最後の最後まで情けない状態です。アニメではいくら逃げても最後はエヴァに乗ろうとしたのと対照的です。「寂しい」「ぼくを助けて」「1人にしないで」そんなことを言って戦おうとしません。

ゲンドウの心中も語られる

ゲンドウ:「俺がそばに寄るとシンジを傷つけるだけ」「だから何もしないほうがいい」「自分が人から愛されるとは信じられない」「私にそんな資格はない」

某人物:「逃げているだけ」「自分が傷つく前に世界を拒絶している」

某人物:「怖くて心を閉じるしかなかったのね」

のような言葉が語られます。これらの言葉からすると、シンジに厳しくしたい、とか、嫌い、とか、シンジを傷つけたくない、というよりも、シンジに拒絶されて自分が傷つくのが怖くてシンジとの心のふれあいを拒んできた。そういう、ゲンドウの孤独で臆病で寂しい心の中が見え隠れします。

それによってシンジはゲンドウを嫌いになっているのです。ゲンドウもシンジもお互いを好きでありたいにも関わらずです。

拒絶されて自分が傷つくことを恐れず、子供と関わろう、大人よ、そう言うメッセージが込められていると思いました。

他人との一体化?

巨大化したレイが全世界の人類と一体になります。ゼーレの人びとさえも一体になります。大好きな人の形をとったレイが人々の前に現れ、人々は恍惚の表情とともにレイと一体化していきます。寂しさを解消することにはなるでしょう。

この時のレイの顔などはなかなかグロテスクになったりします。「こんなのレイじゃない!」そう叫びたくなりました。

そんな中で、シンジは一体化することを拒みます。

他人であるからこそいい

「一つでなく、他人であるからこそいい。」「ありがとう」そう言ってシンジはレイと一体化することを拒みます。

失った力は自分で取り戻そう

「自分自身で力を取り戻そう。」「自分で未来をイメージしよう」他人から期待されたこと、役割を演じていても、そこから自分自身を取り戻すことはできる。そう決心して、シンジは自分自身の力で寂しさに向き合うことを決めます。

イメージすることで望む未来を作っていこう、と、心が持つ力についても語られています。自分の心次第で未来を変えていける。そうなんです。未来の自分を変えようとするならまず心。心の持つ力はとても大きい。そう言うメッセージだと思います。

生きていこうとさえ思えばどこだって天国

幸せになるチャンスはどこにでもある。生命の復元力についても語られています。傷ついても回復して、新しい未来へ歩むことができる。生きていさえすれば。生きることを自分から諦めないようにしよう、そう言う、生命の素晴らしさを讃えるメッセージが語られているように思いました。

最後の場面 赤い海とシンジとアスカ ある意味、人間讃歌では?

最後の場面になります。赤い海と波打ち際に並んで横たわっているシンジとアスカ。2人だけ生き残ったのかなと思って見ていると、シンジがアスカの首を締めます。『なんで?』と私は思いました。予想外のシンジの行動です。シンジはそんなことするやつじゃないはずなのに。

で、アスカが言います。「気持ち悪い」これで終わりです。

なんだこれ?よくわかんない!

そう言いたかったのですが、無理やり考えて見ました。

まず、首を絞めるシンジ。『2人だけ残ったんだから2人で助け合わないといけないのに。バカシンジ!なんでこんなことするんだよう。』そんなことを私は思いました。

なんでシンジはこんなことをしたんでしょう。まず、シンジの心の中を推測してみます。この映画では、劇中でアスカに好意を寄せてるっぽくシンジが描かれていたことから、シンジはアスカのことが好き、と言う設定だと思います。で、物語の冒頭で出てきた、アスカが病院のベッドで寝ていて服がはだけた時にやったシンジの行為とその後のシンジの自己嫌悪の様子。

好きなのに素直に言えず、相手を傷つける行為をしてしまう人間。そんな自分を相手に投影した挙句、相手を殺したくなる。人間の自己矛盾を抱えている性質を象徴的に描いたものだと解釈しました。

アスカが最後に発した言葉「気持ち悪い」。これは、結局、他人と一つになれない人間として生きることに必然的に伴う感覚を表したものだと思います。ひとつになりたくてもなれない、気持ち悪い感覚を抱えたまま生きていくのが人間らしさであり、人間そのものなのだと。「気持ち悪い」と言う感覚は、克服して無くしてしまうべき感覚なのではなく、抱えたまま生きていくのが人間らしさなのだと。

そういう、綺麗事では片付けられない、矛盾や気持ち悪さを抱えながら生きていくことこそ人間らしい営みなんだと言いたいのではないかと思います。ある意味、今まで人間の良さとして注目されてなかった面にスポットを当てた人間讃歌という事ですね。今後、クローン技術やAIが発達して行ったりなど、人間の思考や判断が科学技術で置き換えられて言ったとしても、心の問題はずっと問題になりそうな観点だなと思いました。

まとめ

いかがだったでしょうか。この、「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」は、一見グロテスクでわけわかんなそうに思える作品です。ですので、ちょっと無理があるかもしれませんが、上記の解釈をして見ました。それこそいろんな解釈ができる作品だと思うので、皆さんもご自分なりの解釈をして楽しんでみてはいかがでしょうか。

読んでいただきありがとうございました。

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