第8話最後の大きな不安につつまれての第9話のスタート。
まとめていうと、めちゃくちゃ感動した回でした。何枚もティッシュを使うほど、涙が溢れる場面がありました。
それとともに、大きな伏線が一つ回収されました。とても場面も綺麗だったので、スクショを撮ろうとしたら真っ暗な写真が撮れるだけ。写真をスクショで撮る事はできないようです。
そして、最後の場面。いつ悪役が現れるかハラハラしながら見ていました。そんなのんびりやってたら悪役が現れるじゃないかと。
途中の細かい場面で、兵役の話が出てきました。あの中隊員4人のうちの1人の「兵役が残り9か月以上ある」という話です。青春が終わっちゃうじゃないかと。大変ですね。兵役がない国に生まれただけでも幸せだなと思います。
不在住居に対する処し方の対比が面白い
母親が戦争に出た息子の無事を祈って置いたと思われるジョンハン水の器の話も出てきました。そして、隊員達は、その器が年月が過ぎて土が溜まり、草が生え、器自体が割れてしまっていたとしても「その器には触らない」と。母親が、戦争に出た子供の無事を祈る気持ちが自分達も痛いほどわかっているから、と。そして、その祈りが有効でその息子が無事であって欲しい、という思いも含まれているのかと思います。他者の祈りを尊重する気持ち。他人の母親であっても母親の子を想う思いを想像する気持ち。もちろん架空のドラマではありますが、独裁国家、軍事国家の軍人から出た言葉として、このドラマは描いています。親が子を思う気持ち、見ず知らずの今はいない人の思いであっても尊重する気持ち、他人の祈りを尊重する気持ち。国家の政治形態に関わらず人の持つ温かい心を描く、何気ないけれど名場面だと思います。
そして、それと対比するかのように、セリと母親のやりとりの話も出てきました。母親はどういう気持ちなのだろう?どうも昔はセリを邪魔だと思っていたようなエピソードが出てきます。でも、今はセリの味方のような雰囲気が漂います。そして、さらに対比されるのは、今はいない住居の持ち主に対する態度です。セリの住居に入り、セリ所有のブランド品を漁るかのような長男の妻、セリの会社の書類をチャンスとばかり写真に撮る次兄の妻。今はいない住居の持ち主に対する配慮など微塵も感じられません。先程の北朝鮮での話は、持ち主が居なくなって何年も経ったあばら屋同然の住居での話でした。対してこちらでは持ち主が数日前に居なくなっただけのきらびやかでリッチな、暗証番号を入力しないと入れない住居です。なのに、あばら屋に残っている割れた器を尊重してても触れない隊員達と、かたや入り次第触りまくる兄嫁達。人の温かさと浅ましさとが見事に対比されている名場面だと思います。
もちろん、架空の話です。人は置かれた環境によって如何様にでもいわゆる善人ぽくも悪人ぽくもなりうると思います。でも、このような細かい場面でも、人というのは政治形態を超えて、同じようなものだと、温かくも慣れれば冷たくもなれるのだと。国や政治形態やその他諸々の外形的要素のみによって人を判断してはいけない、と、私は受け取りました。
セリの母親は敵か味方か?
セリと母親のエピソードが出てきます。昔はセリの母親はセリに対し冷たかったようです。
でも、今はセリの味方のような気がする場面がよく出てきます。セリの母親はどういう本心なのでしょう?それが気になる回でした。
セリが落とした時計の行方
セリが落とした時計をある人物が手に入れる事になります。これは後々重要な場面で出てくると思うのですが、ある人物の手に渡りました。さて、これからこの時計はどのように物語に関わってくるのでしょうか?楽しみにしたいと思います。
まとめ
この回は、中盤屈指の名場面が出て来る、大変感動する回になっていると思います。感動が大きくてこんなに書いてしまいました。でも、見る方の楽しみを奪わないよう、重要な場面についてはあまり書いていませんので、気になる方はご自分で御覧になって下さいね。
読んで頂きありがとうございました。
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