ヱヴァンゲリヲン新劇場版の序、破、Qを見ました。色々思ったことがあったので、記憶が鮮明なうちに感想を書きます。ネタバレがありますので、ネタバレが嫌な方は見ないでください。
序
かなりアニメ版と似通っています。
アニメ版と新劇場版を横に並べて視聴してみたりもしたのですが、コマ割り自体が同じ場面もあって、でも、絵は新劇場版の方が綺麗だったりして、「これ、全部描きなおしたのか、手間かかってるな」なんてことも頭をよぎったほどです。並べてみてみると、本当にそっくりだったり、逆に、違う場面がわかったりして、面白いと思います。3DCG担っていてかっこよく綺麗になっています。ヤシマ作戦で出てくる正8面体のオブジェのようなラミエルの攻撃シーンなんかは怖いけど綺麗、と思いました。
私が気づいた、アニメ版と違うな、ってところは、
- 第2話にあたる、最初の使徒との決戦の結果がアニメと逆になってる。アニメの逆転構成が取られていない。
- 赤い海
- レイの感情が豊かになってる
- ゲンドウが地下にあるリリスをシンジに見せている。
- ヤシマ作戦でみんなからの声援やミサトからの応援がある
- 序の終わり間際で早くもカヲル君が現れ、「シンジ君、変わらないね。また3番目か」と、謎の言葉を残します。
などです。アニメ版をみたことのある人にとっては、重要な物事がかなりはじめの方に出てくるなという印象です。これらの中で、序の終わり間際のカヲル君の発言が意味深です。シンジもカヲルやレイのようにクローンなのか?などという想像さえしてしまいました。
「序破急」の序盤というだけあって、アニメを見ていた人にとっては懐かしい、予定調和通りうまくいっているなというストーリーの流れで進んでいたものが、ちょっと、あれ?違うところもある、と少し匂わせて、最後にカヲル君を出して、これ、結構違うんじゃ?次どうなるんだろ?と思わせるあたりが上手いなと思います。
気になった言葉、場面は、
- 零号機が凍結されてて十字架が刺さっているところ
- ミサト「おかしいな。使徒を倒したのに嬉しくない」
- 死海文書外典は掟の書へと行を移した
などです。「死海文書外典は掟の書へと行を移した」?この話、外典なのだろうか?アナザーストーリーなのだろうか?という疑問が湧いてきました。
破
これはもう、冒頭から違いますね。もう、並べてみるなんて野暮な真似はやめました。違うところ満載です。
まず、加持がゲンドウに渡したものが違う。アニメではアダムというアンモナイトみたいなものだったのですが、この新劇場版 破では、「ネブカドネザルの鍵」という、鍵になっています。
「ネブカドネザルの鍵」新登場。ネブカドネザルって?
聖書では、ネブカドネザルは、ユダヤ人から見れば異教徒の、バビロンの王であり、ユダヤ王国を滅ぼしバビロンに連行した出来事である、バビロン捕囚を行なった人物として描かれています。
ネブカドネザルの描かれ方は、ユダヤ人自身が神にそむいていたのを正しい道に戻すために、異教徒にも関わらず神に用いられた、というような描かれ方をします。そして、捕虜として捕らえられていたユダヤの王族のダニエルに、夢の解き明かしを命じる、という話がいくつか出てきます。権勢を得て驕り高ぶりますが、7年の時を経て神を褒め称えるようになるなど、異教徒とは思えないポジティブな描かれ方をしている王です。
ということで、ネブカドネザルというと、ユダヤ教徒から見れば異教徒の驕り高ぶった王であり、神にそむくもの、というイメージです。
しかし、聖書のニュアンスとしては、ネブカドネザルは、異教徒で、外見を見たら一見神に刃向かう立場のようですが、実は神に用いられていた、そういう、ちょっと捻った立場にあります。ですから、完全な想像に過ぎませんが、ゲンドウも、一見正義に反する立場にありそうだけど実は正義に叶うことをしている、そういうことを暗示しているのかな、と思いました。
ゲンドウをカヲルは「お父さん」と呼んでいる
これには驚きました。序の終わり間際に出てきたカヲルがゲンドウのことを「お父さん」と呼んでいるシーンがあります。なんでしょう。カヲルは使徒なんですから、使徒をゲンドウが生み出したという設定なんでしょうか?よくわかりません。
赤い海は生き物が生きられない海。
海が赤くなっていましたが、実は生き物が生きられない海なんだということが明かされます。生命のゆりかごとも言われる海。海は生命や母の象徴とも使われます。なんだかおかしいことになっているぞ。そう感じさせられます。
レイの感情が少し豊かに
レイの感情が豊かになっているという場面がいくつも見られます。味噌汁を飲んで「美味しい」という場面、シンジのためにゲンドウとの食事会を提案し、そのために指を切ってまで料理の練習に励む場面。なんだかいじらしいですね。
どんなに世界を守る重要な役割を持っていても、食事と心の触れ合いというのが、基本的だけど人間にとって大事なことなんだと感じさせられます。
アスカが乗っているんだよ!
これこそこの破の最重要局面だと思います。あの、使徒と判定されるエヴァに乗るパイロットに、アスカが自ら志望します。レイとシンジの食事会のためです。なんとなく、三角関係で、シンジを自分も好きなんだけど、レイとシンジが両思いなのを察して自分から身を引いた、そんな深読みさえできそうな切ない場面です。アニメ版を知っている自分からしたら、「そりゃないでしょ、ここまでいい感じに進んできたのに!」って気分です。
で、アニメ版は誰が乗っているか知らずに、初号機がエヴァをぐっちゃぐっちゃにした後怪我しているトウジを見て初めて気付くのですが、この破では、初めからアスカが乗っていると気づいています。とても酷な場面です。
でも、それだからこそ、まさに破なのでしょうね。大きくストーリーが変わります。で、その元々の原因はレイが愛情豊かになったこと、という、なんとも皮肉な結果です。愛情の深さが悲劇を呼ぶとも言わんばかりです。
で、アスカの乗ったエヴァはダミーシステムが発動した初号機によってぐっちゃぐっちゃにやられます。「い〜つまでも〜変わる〜ことなく〜 と〜もだちで〜いよう〜」という、友達との友情を確認する歌と共にです。この、相反するものを見せる、というのがなんとも秀逸で悲しみを引き立てますね。
せめて綾波だけは、絶対助ける!
そしてクライマックス。ゼルエルに取り込まれたレイを助けるため、シンジは初号機に乗り込み、「せめて綾波だけは、絶対助ける!」とゼルエルと対峙します。そして、いろいろありましたが、力を振り絞ってレイを救出。やったー、と思ったらこれがサードインパクトのトリガーになると。え?愛ってそんな罪作りなものなの?
しかも、冬月やゲンドウが出てきて、予定通りだという様子。で、加持が、ぞれをやったか、でもゼーレは黙っちゃいない、という意味深な言葉。
そう思ってるうちにカヲル君が槍を投げ込んできて途中で終わる。カヲル君はエヴァっぽいのに乗っている。次はどうなるんだろ?って終わり方はさすがです。カヲル君がついに動いてきましたね。
まとめ
破でかなり変わってきました。アニメ版とはどういうつながりなんだろう、どう関連づけるんだろうという疑問も考えてみると面白いですね。
どうも、愛があるからハッピーエンド、とはならないようですね。むしろ、愛とか好きとかがあるからこそ世の中に禍とかめんどくさいことが起きるってこともあるぞ、みたいなことを描こうとされているように思います。高度な制作技術が駆使されているSF特撮のアニメでありながら、なかなか人間や世の中のストレートにいかない人間模様を描いていそうでいろいろ捻って居るなーと思います。
序破急というのをもじっていますが、守破離という言葉も私には思い浮かびました。
守破離とは、何かを学ぶときの心得として私は教わったのですが、3文字であること、「破」が共通していることから、思い浮かびました。それをこの新劇場版に当てはめてみると
- 守:まねる。前作をまねる。そっくりトレースする。
- 破:破る。前作の流れを破る。変化を加える。
- 離:離れる。前作と全く違うものにする。
守破離という流れにも沿ってるなー、なんて思いました。いやいや、序破Qという名前がついているんだから全く違う言葉を持ってくるなよ!とお叱りを受けるかもしれませんが。
長くなったので、続きのQについては別記事に書きます。
読んでいただきありがとうございました。
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