私は30代半ば頃から習字を習い始めました。仕事で必要になったからです。どうして大人になって、習字を習い始めたか、その経緯をつづります。
小中高+書道教室でも習っていたけれど‥‥
たしかに、習字は小学校、中学校とほとんどの方は習われるのではないでしょうか。小学校の時は週1回、土曜日の放課後、書道教室にも通っていました。高校の選択科目でも、汚い字をきれいにしようと、特に興味もなかった書道を選択しました。でも、上手くならなかったんです(たしかに、習わなかったよりはマシでしょうが)。
大人になったら手遅れなのか?挑戦せずに諦めるのは納得行かない
大人になり、仕事で必要になって、上司から筆ペンで字を書いてみるように言われました。『よし、これまで長年習って来たし、たまに習字で賞を取ったこともあるから、そこそこ書けるやろ』とか思って真剣に書いたのです。でも、上司は私の書いた字を見るなり、「あかん。諦めた方がいい。いくら練習しても上手くならん人は上手くならん。センスが必要やけどセンスなさそう。」のようなことを言われました。
その時、なぜか、「いや、練習すれば上手くなるはず。」と、感覚的に思いました。
というか、上司ご自身の経験だけで、無神経に無理だと他人である私の可能性を限定されたことに微妙に反発心を覚えた気持ちもあったかもしれません。
そして、知り合いの書道家の先生に習ってみよう、と思ったのです。その方は、20歳頃に旅行で知り合い、何かにつけて気にかけて下さっていた、友人というか人生の先輩でもある、書道家の先生でした。それまでは友人としての付き合いしかしてこなかったのですが、その時初めてその書道家の方の通信指導の門を叩いたのです。それまでの交流の中で垣間見ていたその先生の字は、人生で未だかつて見たことのない気品のある字でした。筆だけでなく普段の字もそうです。頂いた手紙や年賀状はそれ自体が芸術品と呼びたいくらい、見事なまでに美しい字でした。その先生は、物心ついた小さな頃から筆に親しんでいたそうです。まさに書のサラブレッドといえましょうか。書の英才教育を受けられたような方です。
「私のような者でも上手くなるのかなー?」とざっくばらんに伺った所、「普段の生活で上手いと言われる程度になら練習次第でなれる」との旨の答えだったように思います。
『仕事でお客様にお出しできる程度に書けるように慣れば御の字。練習次第でなれるのなら挑戦してみよう。』そう思った私は、意を決して習う事にしました。
遠路はるばる説明を聞きに伺う
「まず最初は、一度は対面での説明が必要。」との事だったので、遠路はるばる、夜行バスだか新幹線だかで伺いました。
その先生から筆、墨、硯を購入し、墨のすり方や筆、硯などの手入れ仕方などの説明を受け、先生の筆の運びを目の前で見ました。道具の手入れの仕方も初めて聞く方法でした。それ以来、私はこの時に習ったやり方で手入れしています。
いざ開始。数ヶ月で、人から頼まれるくらいに書けるようになりました。
そして、その先生の、通信ゆえにちょっとゆるいけれど本格的な指導に従い、毎日練習し、月1回の課題を出し続けました。すると、子供の頃や学校で習っていてもたいして上達しなかったにもかかわらず、数ヶ月もすると、なぜかグングン上達し、今では会社を代表してもっていく金封の字を上司から頼まれるくらいになっています。あの時の自分からしたら信じられないくらいありがたいことです。
ですが、体は一つなので、忙しい時に頼まれると、誰か他の人に頼んで欲しいなー、なんて思ってしまうという、まあけしからんやつです。
そんな私ですが、この件で学んだのは、教える人のレベルや相性によって、練習が身になるかどうかが違うんだなということです。もし、いま一生懸命習っているのにうまく行かない場合は、自分の資質という側面もあるかもしれませんが、教わる人を変えてみるとうまくいくこともあるかもしれません。
私がどのようにして練習し、どんな所が字の上達のポイントだと考えるか、長くなってきたので別の記事で改めて書くことにします。
読んでいただいてありがとうございました。この記事が少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。
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